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2016年の呪縛〜推しは永遠ではない話

最近、ふたつの人気グループから相次いでメンバーが脱退するというニュースがありました。

私はどちらも「なんとなく好き」という程度で、ミーハーファンとすら言えない程度の知識と思い入れしかないけど、周りに推してる人たちがいたこともあって色々思うところがあった。脱退前の全員揃ったメンバーが大好きだった人たちの言葉や、メンバーのコメントなんかを読むたびに泣いてしまって……言葉は悪いけど他人事なのになんでこんなに苦しいんだろうって思って。

自分を見つめ直した時、ああ私はまだ2016年の呪縛から逃れられてないんだなあ、と気付いた。

今回はそんな話。

 

 

私は推しくんのファン歴こそ浅いけど、芸能人を推してた歴で言うととんでもなく長い方です。そんな私のおたく人生の中では当然、様々な推しとの別れがありました。

ある人は劇症肝炎である日突然亡くなりました。本当にある日突然。当時はツイッターどころかネットもない時代だったので、その事実を知ったのはもう亡くなった後。ファンが参列出来る形で告別式をあげて下さったご家族と事務所には今でも感謝してます。

ある人は引退して一般人になり、あるバンドは解散ライブでカテコ後もファン最後の一人が帰るまで見送ってくれました。またあるバンドは推しメンが音楽性の違いで脱退し、数年ののちに解散しました。私自身が推しの結婚によって離れた経験も、若かりし頃にはあります。

どれも私にとっては悲しい別れだけれど、何より推していたその時は幸せだったから、今こうして時が経てば思い出として自分の中で消化出来ています。

 

でも、唯一自分の中でまだ消化仕切れてない「推しとの別れ」があります。

それが2016年に起こった出来事。私が、色んな推しにはまったり離れたりしながらも唯一ずっと変わらず推し続けていた……私の人生の半分以上をかけてきた、とあるグループの解散です。

 

 

2016年が明けて間もなく、解散報道がありました。

国民的人気グループと言われた彼らの解散疑惑はまさに国民的なニュースとなったけど、私たち長年のファンは正直「またか」という反応でした。解散疑惑?まあいつものことでしょ。多分そんな風に、話が出たその時点で、まともなファンならばまだ誰一人本気で解散するなんて思ってなかったと思います。それは別に彼らのおたくが皆お花畑というわけではなく……もちろんそういうファンもいたでしょうけど、むしろその逆。悪い意味での「慣れ」でした。

はるか過去メンバー脱退を経験していることもあるし、彼らは長い年月の間にそれこそ飽きるほど何度も何度も何度も、他のグループと比べものにならないほどの回数「解散騒動」とか言ってマスコミに書き立てられては、その度に絆を見せつけて噂を一蹴してきたからです。

 

そんな中、私のように決してお花畑ではないファンが、不穏な空気を初めて感じ取ります。それは事務所のコメントが原因でした。

 

この件について協議・交渉がなされている事実は存しますが 

 

騒動を沈めるべく出された事務所のコメントの中に、上記の一文がありました。

正直、あそこの事務所の実権が現社長でなくなった頃から、彼らと事務所の間がうまくいってないのは知っていました。でも肩を並べる、単純なCD売り上げだけなら追い越す後輩も出てきているとは言え、ファンの年齢層が圧倒的に広くまだまだタレントグループとしてはドル箱であること。もはやあの事務所にもそう簡単に潰せないほど芸能界の中で彼らの存在は「モンスター」に育っていたこと。まだなんとか権限のある社長は彼らのことを愛してくれていたことなどもあり、そう簡単に解散するとは思えませんでした。

でも、その時点で事務所は彼らを守ってくれなかった。解散させたくないと思ってるなら、わざわざそんな憶測を煽るような一文を入れるでしょうか。この段階で事務所に対する信用は地に落ちました。

一部で真偽のわからない状態で書き立てられている様に、事務所の副社長が邪魔な彼らを追い出したとかそういう話を頭から信じているというわけではありません。ただ単純に、あの事務所は「長年事務所を支えてきた、多くのファンのいる彼ら」を全く守ろうとしなかったというそれだけが事実なんです。

 

それでもファンは彼らを、彼らの絆を信じていました。事務所を出たらホされることになるかもしれない。でも芸能界には彼らの味方もたくさんいる。最悪、あのグループ名が使えなくなったとしても、五人で一緒に事務所を出てやりなおしてくれるんではないか。だってあんなにメンバーのことが大好きな五人なんだから。不仲説が何度出ても、五人一緒の旅行で不仲なんてありえないって事をつい3年前に見せてくれた五人。ほんの1年前には仲良くツアーのオーラスを迎えたじゃん。

彼らを信じるファンをよそに日々報道が加熱する中、彼らが生でコメントするという機会が用意されました。

 

俗に言う公開処刑とか公開いじめとか言われてたアレ。

 

あの放送を見た瞬間、私は呆然と、ああ彼らはもうダメなんだな、って思いました。

終わってからならなんとでも言える話なので、別に信じてほしいとも思わないけど、私はあの生放送を見た瞬間に彼らの心はもう離れてると確信したし、あの時点で解散を覚悟した。

世間のファンは事務所に無理やり言わされたシナリオだとか(まあ内容そのものはそうだと思うけど)、彼らは本当は解散したくないはず、彼らの心はいつだって繋がってる!!本当はこんなに仲良しなんだもの!!(添付:数年前の仲良し無断転載動画)みたいな感じで連日お花畑なツイートが流れてたけど、その中の何人が本当に20年以上彼らを推してたんだろう?って正直思ってしまいました。

だって、私はわかるんですよ。ただのファンとアイドルの関係で、しかも今推してる若手俳優と違ってほとんど一方的に見ているだけの遠い存在。それでも人生の半分以上彼らを見て、彼らの活動に付き合ってきたんだから、顔を見ればある程度のことはわかる。

もう彼らの心はひとつではないことくらい嫌でもわかる。

表向きは解散の話は一旦なかったことになった。でもあの時彼らの顔を見て、以前の五人に戻れるとは私はとても思えませんでした。

去年あんなに仲よさそうにライブしてたじゃんって? 3年前五人で旅行して涙ながらに語り合ったじゃん、って?

どんなに仲良くたって、亀裂が入るのは些細な一瞬で、そして大人だからこそ一度入った亀裂はそう簡単に回復しない。人間関係って綺麗事ではない。そんなことくらいある程度人生を生きてる大人なら当たり前に理解出来るでしょう。こんなに長い間一緒にいたんだから不仲になるはずないなんて本気で言ってるのなら、お花畑が過ぎると思う。

 

私は彼らを長い間見てきた自負があります。

だから、せめて最後は「聞き分けの良いファン」でいようと思った。

解散させないための署名とか、やりたい人は勝手にやればいい。それもまたひとつの応援でしょう。でも、それは彼らの本心がどうあれ彼らを苦しめるだけだと私は思ったから一切署名しませんでした。

私が彼らのファンであることは身内には周知の事実で、色んなものを好きになってその先々で趣味友を作っても彼らだけはずっと好きだったから、各ジャンルの趣味友たちでも深い仲になった人たちはみんな私が彼らのファンだということは知ってた。だから折に触れて色んな友達から「大丈夫?」と連絡がきました。こんなにたくさんの人に気にして心配してもらっているということに気付けたこと、たかがアイドルのことくらいでなんて言う人が誰もいなかったことは本当におたく友達ありがたいって思ったし、今でも財産だと思う。

だからその連絡に私は「うーん、最初はショックだったけど結果はどうあれ彼らの決断を尊重したいから、今はそんなに気にしてないよ。なるようになるだろうし。そう言えるくらいには長い間見てきたしね」と答えます。

 

客入れのなくなったレギュラー番組。契約が切れてそのままのCM。彼らは確実に「終わり」に近づいてるんだと、大人ぶった聞き分けの良いファンの私は察しました。

 

あの頃の私が聞き分けの良いファンであろうとしたのは、良い子ぶっていたというよりむしろ彼らへの復讐とか意地だったのかもしれないと今は思います。

解散騒動で初めて本気で不穏な空気を察知して心を痛めていた私たちファンに彼らがしたことは、わざとらしい悲痛な表情で、作られた言葉で頭を下げた謝罪。

私は彼らに謝って欲しかったわけじゃない。お騒がせしたことを謝るより先に、長年支えてきたファンにかける言葉があったはず。私たちはただ安心させて欲しかっただけなのに。

私だって本当は、解散しないでよ、事務所との軋轢なんか知るかよ五人でやりなおせよ、私のかけてきた20数年はなんだったのって思わせないで、ずっと何度も解散なんてって笑い飛ばしてきた五人でしょ?今回も笑い飛ばしてよ、って子供みたいに見苦しく駄々をこねたかった。

でもそれがバカバカしく感じてしまうくらいには、あの会見は私というファンにとっての彼らの裏切りでした。

 

嫌がったって駄々をこねたって、多分もう私と彼らの時計はもどらない。社長は彼らを解散させません、と言ってくれた。社長がそう言ってくれた気持ち自体はウソではないと私は思うし嬉しかった。でも同時に、それでも無理だと思ったし、仮に解散しなかったとしてももう前の五人ではないんです。ifの話にはなるけれど、もしもあのまま続いていたとして私はファンを続けられていたかどうかわからない。

 

それでも、心のどこかでまだ、これはいっときだけの不仲で持ち直すんじゃないか、って彼らを信じる気持ちも確かにありました。だからまだ解散しますとは言ってないんじゃないかという期待を、わずかながら捨てることは出来なかった。その程度には私が彼らを推してきた二十数年は重かったから。

 

そんな精神状態の中の支えというか癒しのひとつだったのがその時ハマッてた某アニメでした。アニメこそ終了していたもののコンテンツとしてはまだまだ元気で、各地でのイベントそしてアプリ、畳み掛けるような新作グッズ発売に追われている間は彼らのことを忘れられた。

どうせなるようにしかならないんだから、今リアルタイムで好きなものを追うことに集中しようと切り替えて、それについては全力で楽しんでいました。

その年が半分もすぎた頃そのアニメの舞台化が決まって、そして私はのちに推しとなる一人の俳優と出会います。その時はまだ、彼のことをこんなに追いかけることになるとは思わなかった。それは彼の印象がもともとマイナスから始まっていたのも当然あると思うし、過去に一度舞台俳優にハマっていて足を洗った経験があるからこそもう二度とハマらないだろうという気持ちもあったし、そして何より「彼ら」のことも理由のひとつだったんじゃないかと今は思う。

 

8月、正式にその年の大晦日付での解散が発表されました。

 

推しを推すという行為は、後悔の連続です。長い人生でそれは何度も思い知ってきました。

彼らを好きだった二十数年の間も同時進行で他の色んな推しにはまったり別れたりしてきた。それでも「彼ら」はいつだってそこにいて、いつも私の誘導灯のようだった。その光は一生消えることはないものだと信じていて、ド●フのおじさん、いやおじいちゃんたちみたいに、集まれることは年に数回になっても、もう一生彼らは彼らとしてそれこそ誰かが死ぬまで続いていくのだろうとなぜか信じ切っていました。

その光が消えかかっているのを心からは信じられないままただなすすべもなく見つめながら、もうこんな思いはしたくないと2016年夏の私は思いました。

思ったのに、その年の秋、私はまたひとつ見つけてしまった。

秋に通った舞台が本当に楽しくて楽しくて。数年ぶりに推したいと思う俳優に出会ってしまった。舞台に通うのが、当日券の列に毎日並ぶのがもう数年ぶりのことで、当たり外れを待つ緊張感も含めて本当に毎日楽しかったんです。

わけもわからない、まだ推し続けるかどうかすら自分で気付いていなかったあの時に初めて触れた手の感触は今でも覚えてます。あれがなかったら私の2016年はもっとどす黒いものになっていただろうと思う。

 

実際解散が決まってからの半年弱の彼らに対する気持ちは針の筵の上に座っているようなもので、もう戻ってこないのだとわかってはいても、ずっと何年も出演していた音楽番組だの、ずっと続いているレギュラー番組だのにまだ心の中で何かを期待している自分がいて。紅白の辞退が報道されてもなお、もしかして最後の最後にグループ名は使えなくなるけど僕たちはまだ五人で頑張りますって言ってくれるんじゃないかって、だから8月にすぐ解散しないで年末まで引っ張ってくれてるんじゃないかって、ずっとどこかで思い続けて残り半年弱を過ごしました。

私はちっとも聞き分けの良いファンなんかじゃなかった。ただ単に年を取りすぎて変に物わかりがよくなってしまったから、嫌だと泣き叫ぶタイミングを逸したまま1年がすぎてしまっただけだったんです。

2016年の除夜の鐘を聞きながらそのことをぼんやり実感して、そして、ああこれで本当に終わったんだな、と思って、ようやくわんわん泣くことが出来ました。

 

彼らという「私の人生のほとんど」が終わっても私の人生が終わることは当然なくて、そして彼らがまだかろうじて明かりを灯していた2016年が終わって2017年という体験したことのない暗闇を迎えた私の手元には、年明けに東京で公演されるミュージカルのチケットが数枚ありました。

これまでの私の人生の半分以上は彼らとともにあったけれど、私自身の人生はこれからも続いていくから、いずれ彼らを推していた日々は人生のただの一部になる。

私の手元にある新しい小さな光は、そう教えてくれている気がしました。

 

推しを推すということは後悔の連続です。推しは決して永遠ではありません。

推しは永遠ではないことはもうとっくに何度も経験していて、だからいい大人の私はいつからか新しい推しに対して「後悔するような推し方はしない」をモットーにしてきました。でも2016年の大きな別れを経て、後悔しない推し方なんてないんだってわかってしまった。

 

何をどう心を尽くしても、たとえお金が湯水のようにあったとしても、終わる時にはやっぱり後悔してしまう。あの時こうしておけばよかった、あの時のこれに無理してもいくべきだった。自分が原因にしろ推しが原因にしろいつかその推しとの終わりを迎えた時に「絶対後悔しない推し方」なんて無理だと思う。

でもせめて、最後の時を迎えた時に、推していたその数年ないし数十年が私の人生において無駄ではなかったと思える推し方をしていたい。どうせ後悔するんだから、少なくともリアルタイムで推していた間は幸せだったと思えるように。

例え終わりの原因が推し側にあって100年の恋も覚める様な出来事だったとしても、少なくとも私が好きで推していた間の推しには心から「楽しかったよ、幸せだったよ、ありがとう」と笑顔で言える推し方が理想だなって、今は思います。

何があってもその時に推しを好きだった自分だけは後悔したくない。推しと、今その推しを好きな自分に、私は常に誠実でいたいです。

 

この一年とちょっと、色んな芸能人の脱退だったり引退だったり解散だったりの話を聞くたびにファンでもないのになんだか悲しくなってモヤモヤしていました。そしてやっと本命含む外に出た組が活動再開してくれて嬉しいはずの新しいアレとか某時間テレビも、なんだかしらじらしいというか素直に喜ぶことが出来なくて。

ここ数日の騒ぎやそれに関わったファンの人たちの言葉を見て、ようやく私はまだ2016年が消化出来ていなかったんだなあって自覚したんです。

 

そりゃそうだよね、あっさり納得するには追いかけていた時間が長すぎたし、それでいて解散するかしないかで飼い殺されていた期間も長すぎた。愛の深さと同じだけ、不信感も育てられてしまったし、まだ私と彼らの間に出来た溝は深い。

それでも彼らを好きだった人生の半分以上は幸せな日々だったし、それすらも否定はしたくない。

 

推しは永遠ではないし、推しを推すことは後悔の連続です。

でもせめて好きだったという日々とその気持ちだけは絶対に後悔することのないように、これからも推しを推し続けたいと思います。