生きてるだけでありがたみ

推しくんがずっと好きな仕事をしていられますように

5年目ですってよ!

こんにちはわたしです!

 

明日は別件でかなり忙しいので、暇な今日ブログ書いてますが、明日25日で推しを推し始めてなんと4周年を迎えます。つまり今日はファン歴4年目の最後の日。明日からは推しくんのファン歴5年目突入です。わーパチパチ!おめでたい!そうかな!?

 

4年か〜〜!あっという間だったな!

初めておしゃべりしたのもついこないだの事のようですが、3年以上前なんですよね。それから何回お話したっけな……って考えると、そりゃ有象無象でもさすがに多少は覚えられるわな。

これ毎年言ってますが、推しのまあまあ長い芸能人生からしたら4年なんて全然ひよっこです。と言いつつ、身の回りで同じ頃に推し始めたもっと若手を推してる知人なんかはボチボチ「最古参」と呼ばれたりもしてるくらいのファン歴でもあります。謙遜という意味ではいつまでもド新規の気持ちでいたいと思うけど、でもオタクとしてそれなりの責任のある年数でもあるんだなあと、去年くらいからはうっすら自覚し始めたりもしてます。

推し本人の芸歴はもちろん、自分より古いファンの歴に追いつくことは一生ないものの、こうやって一年一年重ねていくたびに少しずつ推しの芸歴に対する私のファン歴の比率は上がっていくんですよね。そしてずっとファンでい続ける限り、それはいずれ半分を超える時もくるわけです。それまでファンでいるかどうかは知らんけど。(出た、知らんけど)

 

まあ最初の1年ほどはほとんどクソ茶の間だったので、実質本当の意味で人様に対しても「この人が私の推し!」と言えるようになってからは3年くらいかな。最近Twitterで回ってきた「オタク、推しになる存在を知ってから推しと認めるまでの謎の調査期間(側から見たらとっくにもう好き)がある」っていうやつ、めっちゃわかるボタンを3万回くらい押したやつだった。まさにそれ。

スケジュール帳を遡るとマジで2017年の夏くらいから急激に真っ黒になってるので、ほんと好きになってからちょうど1年くらいは茶の間(と言っても配信や雑誌や円盤にはお金出してるし行ける時は1〜2公演は行ってたけど)してたんだなあ。面白いですね。

しがない貧乏多忙地方オタクなので全通なんてほど遠いしガッツを名乗れるほどとは到底言えないレベルなのですが、茶の間や弱火を名乗るのはさすがに逆にしらじらしいかな…と言えるくらいにはこの3年間私なりに休みなく現場に通ってきたと思います。でも今思うとなんでそうなったのかきっかけが全くわかんないんですよね。忍び道あたりからがっつり推し本人に入れ込むようになった気はするんですけど、理由はよくわからない…。あの頃推しがわりと病んでたのに感情移入したのかとか、ヘタ卒業とか初めての本格的な接触とかが重なったからなのかとかいくつか思い当たらなくはないけど決定的な何かはわからんままずっとコンスタントに現場に通っています。ここ4ヶ月は現場ないですが、それはみんなそうだしね…

元々追い始めたきっかけのきっかけは某ステですが、初年度はゴリゴリに通った現場はほんとにそれだけでした。まあ、その舞台も最初に手元にあったのは原作厨として取った3公演だけだったんですが…(初日におっこちて当日券でめちゃくちゃ増やした)(逆に今もうあの根性ない)

 

我が推しくん、かつては他担もご存知の通りのワーカホリックだったので、追いかける方もだいぶしんどかった時期もありました。

だからこの自粛期間にもしかしたら冷めるかもなあ、という気持ちは正直ちょっとあったんです。

推し本人のことはずっと好きだと思うし、とにかく顔面が好きなので本来の意味で好きな気持ちが冷めるってことはそうそうないとは思う。実際この自粛期間中も配信ゲストで出たりやってくれたり未公開の画像をかき集めてチェキセット売ってくれたり、フォトブックが出たり、そういうのは全部ありがたかったですし、推しのおこづかいにもなるのも嬉しくて出たものは全て五体投地で買ったんですけどね。

ただ、『現場モチベ』って必ずしも愛とイコールじゃないじゃないですか。これは自分が茶の間期間があったからこそ思うんですけど。

もちろん愛がなきゃ現場には通えないけど、愛があるからって現場に通えるかというとそこは難しい話だなって。これは若い人や都近郊の人には伝わらないかもですが、地方在住の体力のないババアにとっては、正直「推しに会えるとか推しの演技が観れるという嬉しさ楽しさ」に対して「現場に向かう肉体&精神的しんどさ」ってまあまあ拮抗してるとこがあるんですよね。ちょっとでも何かきっかけがあると「しんどい」方に天秤が傾いてしまいそうなくらいには。そのしんどさを、エンドレス現場によるランナーズハイ状態でまあまあ自分を騙し続けてるみたいな部分は実際相当あったので…。

だからそれが長期間途切れるってだけでも正気に戻るには十分なのに、楽しみにしていた現場が遠征先で目の前で飛び、挙句散々苦労しまくって血反吐吐いてようやくもぎ取ったチケットがゴミになり、自粛前の最後の客前は他の俳優の個イベのシークレットゲストで本人のオタクは参加の土俵にすらあげてもらえなかった現場だったという事実。現場モチベが底辺になるのには十分だったと思います。

そして、そんな精神状態で延々リアルの現場がないどころか必要最低限の外出しかしない日々が何ヶ月も続く。そうすると、さすがに現実に気付いてしまうんですよ。自分は『趣味』と言いつつ相当しんどいことを自分に課してたんだなあ、と。

実際のところ、この4ヶ月でも自分が思ってた以上に推しに対しての「好き」な気持ち自体は少しも冷める気配はなく、日々推しかわいいな〜好きだな〜って思っていたし、推しの存在を支えに自粛期間を耐えていました。ただもう今後現場が復活しても遠征してまで何公演も通いたいかなあ…って自分に問うと…。自粛初期の頃こそはやく現場行きたい〜推しくんに会いたい〜〜!って泣き喚いていたものの、最近はすっかり隠居しもう今年からマジで茶の間になるかもしれんな…と思うほどには心が無でした。

 

そんな中、やるかどうかわからなかった現場の開催が発表され、チケ先行が始まりました。

先行が始まった某朗読劇。まず遠征組からすると、ちょっと時期が早すぎるなとも思って正直かなり抵抗がありました。まだまだリアルの現場には不安が残る時期です。ましてや自粛解除されたとはいえまだ感染者がいる地域への遠征。それにそもそも私にとってめちゃくちゃ思い入れの強い作品の思い入れの強い役だからこそ「本公演中止したので代わりに朗読劇でやります〜」なんて不完全なもので安易にお茶濁されるのもすごくいやだった。何ヶ月かかってもいいからちゃんとしたお芝居で最初に見せてほしかったし、こんな微妙な時期に無理にやるようなことかと疑問もありました。そんな色々複雑な思いがあって、開催するって知った時にもどうするかすごく悩みました。

それで私の出した結論は「推しのFC先行のみ応募して、当たらなければ行かない、当たったら行く」ということ。ちょっとした賭けをしたんですよね。当たらなかったら今はまだ来なくていいってことで、当たったら私に来て欲しいってことなんじゃないかなって。(推しが当落に噛んでるとかじゃないですよwww単に概念の話です!)

そしたら結果、初日が当たってまして。

行くなら初日に行きたいなとはやっぱり思ってました。元々初日厨なのもあるんですが、何より自粛開け最初の現場*1の推し。別にガチ恋でもないので運命っていうのもあれですけど、まあぼんやりそう思ったというか。そんで、当たったからには十分な対策をした上で行こう、見届けようって決めて、ホテルと交通押さえて、取れなかった分の譲渡探して……ってしてたらね。

 

なんだか、ほんと正直なところ推しには悪いけどさほど楽しみにしてた現場でもなかったのに、そうやって色々準備してたらモチベ上がって来て純粋に楽しみだなって感じ始めたし、そうするとなんかしみじみ涙が出て来て。

 

その時急に、あっ、生きてるなわたしって思ったんです。

 

前回このブログのタイトルでもある生きてるだけでありがたみみたいな話してたのになんなんだよですけどw

漠然と、そうか今まで私生きてなかったんだな、って気付いた。

オタク、人間として生存はしていても、現場がないと「生きて」ないんだなあって。そういう生物なんだなって自覚しました。

あんまり特定の推しを生き甲斐にするのよくないと思うんですけど、でもいいトシして他に生き甲斐もないんだから仕方ないよなあ。別に今死にたいとか思ってないですけど、仮に思った時に死んだら後悔するかもって思えるのって、私をこの世に引き止めてくれるのって推しのことくらいかもしれんと思う。手元のチケットが0になった時本当に不安でああこれ軽くビョウキだなと自覚したもんですけど、でも仕方ないよな〜!オタクってそういう生き物なんだ!

 

そんなことを言いつつも、この自粛を機にゆるオタになりたい、ゆるく生きたいとは思ってるんですけどね。(しょっちゅう言ってる)

*1:厳密には映画の舞台挨拶がありましたが、あの時点では移動自粛解除してなかったので「自粛期間中の現場」と判断してます