生きてるだけでありがたみ

推しくんがずっと好きな仕事をしていられますように

1000日目〜近況とポエム

こんにちは、わたしです。

 

近況

滑り込みでハイネ映画:あまりにも時間が取れなくて、しかも思った以上に早く上映終了していったのでもうダメかと思ったけどギリ梅田でやってたのに滑り込みました。何故かその続きに跳んで埼玉も見た。跳んで埼玉面白かった!!(ハイネは?)

映画クロガラス最高だった:最高だった。あと1000000回見たいけど全国二箇所で1週間しか上映しないの無理すぎた。はやく円盤出してください……推しくんのビジュアルも最近では一番好きな頃(まあぶっちゃけ阿久津くん…)なので本当にSUKI…2も楽しみ!!!でも35種ランブロはエイ●ックス燃えろ

エーステ最後の生観劇:東京〜大阪までは基本は同じでこなれていった(人によっては成長していった)という変化だったんだけど、凱旋では結構意図的にお芝居変えて来てましたね…特に冬組!さすが年の功チームだなあと。私はこれで楽LV残すのみとなりました。凱旋もうちょっと見たかったな…あとそこそこ行ったけど推し関連の日替わり要素を一つ残らず全て外して病んだ。チケ取れない舞台の日替わりは悪い文明。

 

推しくん関連だとこれくらいかな?

あと地元で別界隈の推しが1ヶ月ロングランの舞台やるの、地元なのを良いことにうまいこと仕事の間をぬって平日昼にぶっこんで四公演取れました!うれしい!最推しじゃなくなったとは言え、歴で言うなら推しくんの数倍なので、色々あったけど今でもこうして生でお芝居を見る機会があることを本当にありがたいなあと思います。推しは永遠ではないんだ…。

もちろんそれは推しくんにだって言えることなんですけどね。

 

 

そう、歴と言えば。

今日は私が推しくんに出会って、ちょうど1000日目だそうです。

 

「出会って1000日目」と言うけれど、何度かブログで書いたように推しくんとの出会いは色々ちょっとフクザツな事情もあるので、出会った日がいつと明確に言うのはなかなか難しいんですよね。知ってるだけならずっと以前から知っているし。

なので、なんとなく「好意的にこの人を追いかけようと決意した日」を出会いの日として設定しています。という話は以前にもしました。

 

私と推しくんの『出会い』を厳密に言うなら、まず映像でならデビュー当時の舞台初主演作をほぼ円盤発売当時に見ているし持っています。なぜなら当時共演者くんのおたくだった友人に、良かったら見て!!と円盤を押し付けられたためです…w 

さらに「生で演技を見た」というだけなら、前推しを推していた頃に共演していたため、やはりそのちょっと後くらいに初めての生推しくんを何度か見ています。10年以上前です。

そしてはっきり顔と名前が一致して認識したという意味では戦国鍋あたりの頃からですが、その頃は色々あってあまり好意的な感情がありませんでした。

なので「出会い」と言っても、別に1000日前に突然「こんな人がいたんだ!」となったわけではありません。

 

そんな昔話をしてみたものの、別に歴盛りしたいとは全く思ってないです。私は「この人を推そう」と自分の意志ではっきり思った時からが私の推し歴だと思っているからです。だって知ってたと言っても、そもそもお金出してないどころか(いや舞台は彼のためじゃないとは言え複数回分のチケット代出してるけどもw)茶の間のお約束『行けないけど応援』すらしてなかったので。

まあ盛る気がないのは、知ってて推していなかった期間のことを勿体無いとも悔しいとも別に思わないタチだからってのもあるかな。むしろずっと前から『知っていた』からこそ、琴線に触れたその瞬間の尊さってあると思うんです。

別に恋愛じゃなくても、自分の人生となんの関係もない誰かを好きになって応援したいと思う瞬間って、奇跡みたいなもんじゃないですか。好きだと思ったその時その瞬間が、この人のこの先を見続けたいと思ったその瞬間がおたくにとっての運命なんですよ。

紙に印刷された推しの顔面が三度の飯より好きなおたく、大きな声では言えない話ですがやっぱド新規だから他界した元同担の人たちが手放した古いブロとかを…某所で漁ったりもたまにするんです。でもお金出してまで手に入れたいな〜と思うもののほとんどって、結局ファンになる前後のものだったりします。これは他担の友人も全く同じことを言ってて、まあだからやっぱり、最古参でもない限りは見た目も含めて好きになった瞬間の推しが自分にとって一番好みだってことなんでしょうね。

 

1000日っていうと年月にすれば三周年も迎えていない程度なので、ほんとにまだまだクソド新規だしそう考えると全然大したことはないです。でも逆にこうして『日数』で見ると、改めてすごいなあとも思います。

ガチ恋でこそないものの、1000日もの間1日1日『推しくんが好き』という気持ちを積み重ねて来て今日の私があるんだな、と思うとなんか感慨深い。

ニワカの新規ハイの頃はひたすら楽しかったけど、そんなのは最初の半年くらいのことで、それなりにお金と時間をかけて追い続けていると決して楽しいことだけではなくなります。悲しい事、悔しい事、腹立った事もたくさんある。病んだこともあるし、推しくんにイライラして干した現場だってある。手紙で厳しい事を書いたりもした。

それでも、いっとき現場を干すことこそあれ、ほんの1秒足りとも『降りたい』と思った瞬間はなかった。

微妙だと思った作品だってあるし、経済的にやめときゃ良かったってタイミングの遠征もあったけど、それでも選んで行ったことそのものを本気で後悔した現場はただのひとつもない。

推しを推す活動をしている人にとっては当たり前のことかも知れない、でもこれってきっとすごいことなんですよ。

 

たくさん現場に行ったような気もするけど、全通するほど強いオタクでもないから、実際に日数として数えればたぶん1000日間のうちのほとんどは現場にいない日です。それでも推しくんのことを一瞬も考えない日はなかったと思う。

1000日間も毎日誰かのことを、それも別に家族でも親友でも恋人でもなければ片思いの相手ですらない人のことを考えるって、よく考えるとすごいよね。私は基本的に情の薄い人間なので、なんなら家族のことだって、用があってメールやLINEでもこない限り1秒も思い出さない日もあるよ。でも推しくんのことを1秒も思い出さない日、この1000日間の中であっただろうか?

それってほんとにすごいことだなあ、と改めて思うんです。

 

推しとおたくの出会いって本当に奇跡だなって思う。

彼の人生にとっても私の人生にとっても、お互いの存在は何の意味も影響力もないのに。それでも家族よりも毎日想って、その人のためにたくさんお金をかけても勿体無いと思わなくて、その目で見ている先を出来る限り一緒に見続けていきたいと思える人なんて、人生で何人出会えるんだろう。

 

1001日目からの先もずっと、そのカラコンの入れられない(笑うところ)茶色い目の先を後ろから見続けていたい。

これからも、楽しいことだけじゃないと思う。本気で追えば追うほど悲しいこと悔しいこと腹立つことあると思う。なんとなく納得行かない仕事だってきっとたくさんあるけど、ファンを名乗る以上は、少なくとも本人が心から喜んでるとわかる仕事はいつも一緒に喜べる人間でありたいと思います。それができないのに推し呼ばわりするの烏滸がましいと私は思うので。

詰め込まれ続けるスケジュールに首を傾げたり息切れする時もあるけど、かつて「走り続けるから背中を押してほしい」と、推しくんが私たちファンに言ってくれたから。

振り返らなくていい、こっちのことなんてチラリとも見なくていいから、必要な時は背中で呼んでくれさえしたら、いつだってそっと押す気でいるよ。

 

なんてポエムを綴りながら、次の舞台のチケ戦に胃を痛めるのでした。