生きてるだけでありがたみ

推しくんがずっと好きな仕事をしていられますように

認知の先にあるもの

突然ですが私は昔、年に2度しか行かない東京の居酒屋の店長に認知されていたことがあります。

 

地方民だから東京の店よくわかんなくて知らない店入ってぼったくられたら怖いし、美味しくてサービスの良いお店は積極的に贔屓したいというのもあって普段から同じ店に行きがちではあるんですが、そこにはガチで年2回しか行く機会がなくてしかも最初の頃は予約でもなく飛び込みだった。予約するようになったのは店長に認知されてからなので、最初は本当に流れで、あそこ美味しかったよね?店考えるの面倒だしあそこでいい?くらい。通いだして二年目くらいにはもう覚えられていたような。

ちなみにそのお店はその後なくなってしまいました。店長元気かな…。

最近また東京でその店の代わりにお気に入りの店を見つけ、2度目にはもうそこの店長に認知されましたw なんでやねん。

 

居酒屋の店長の認知がなんぞや?って話ですが、考えてみれば東京の繁華街の居酒屋の店長なんて、おそらく殆どの若手俳優よりもずっと多くの客と毎日出会っていますよね。それでもたった年2回しか顔を出さない、めちゃめちゃ羽振りが良いわけでもない客を、好意的に店に通ってるというだけの理由で覚えてくれていたわけで。

俳優だって結局は客商売なんだから、相貌失認かよほど記憶力が死んでいるとかでない限り(まあ俳優やってて後者はないと思うけど…)よく来てくれるファンの顔はぼんやりとくらい覚えていても不思議ではないんだよなと、居酒屋店長のことを思い出してなんとなく納得したのでした。

 

 

前置きが長くなりました。

推しを明かしている以上身バレに繋がるような話もなんなので(と言っても同担との交流は皆無なので特に困るようなこともないんですが)ここで詳細は語りませんが、先日推しくんにがっつり認知されてたことが発覚しました。※ちなみに確定したのはレポ的なものを書いたお渡し会の時ではなく、翌日のリリイベです

別にこれは自慢話ではありません。

というか、先の話にも書いたように、自分が意図的に接触をセーブしない限り仕方のないことだったんだと思います。他担の友人たちの話を聞いてても、昨今の若手俳優と呼ばれる人たち、人気俳優に入る人ですら実際現場に通ってると「DDの2nd以下でもキャラ投影厨でもない純然たるその人のオタク」というのは案外そういないことがわかる。推しくんだって例に漏れません。接触ループが思った以上にいなかったことからも、それは伺えます。

だから、特に覚えられそうなことをしていなくても、それなりに同じ人を淡々と推し続けてるだけでなんとなくでも顔を覚えられるのはもう自然現象とでも思うしかない。多分「私は推しに認知なんかされてない!」と今思ってる人も、それなりに現場に通っているなら、推しがわざわざそれを伝えてこなかっただけでほとんどの人は実際にはされてるんだと思います。

私はまだ推しくんを推し始めて二年にも満たない新規で、特別なことは何もしてません。ただ黙々と無理のない範囲で現場に通い、公演ごとに手紙入れる!なんて人も少なくない中で面倒くさがりの私はせいぜい1〜2現場に一回くらいのペースでしか手紙も入れないし、プレなんて数回しかあげたことない。

「無理のない範囲」も本当に言葉通りの意味で、私は地方在住で家族を養う立場の表向きは真っ当な社会人ババアなので、毎回遠征だったりとか、ましてや全通とか出来るわけでもない。

積んで良席確保とかもせず純粋にチケ運と人脈だけに頼って生きてるので、取れない公演はマジで全然取れないし、いつも演者から見える席に座れるわけでもない。

接触でも今までは特に印象的な話はしてこなかった。(この前は初回の推しくんの反応が良かったから楽しくなって、初めてつい調子に乗ってしまったけど…)

待ちももちろん一切したことないし、たとえ偶然にでも現場以外で推しくんに会ったことすらない。

…と、そんな正真正銘のゆるおたでも、それなりに継続して推してると顔を覚えられてしまうのです。現場が好きな若手俳優おたくは、「好き」をある程度意図的にセーブして我慢でもしない限り、認知という呪いからはなかなか逃れられないのではないかと思う。

 

認知されていたことが全く嬉しくないかと言えば、まあさすがに嘘になります。だって恋愛ではなくてもやっぱり好きな人ですしね。

正確には認知そのものが嬉しいわけではなく「認知されてたみたいだけどどうやら嫌がられてはいなかったらしい」ことが嬉しい、という感じ。

だから、正直認知は出来ればして欲しくなかったなというのは今でも本音です。謙遜でも遠回しの自慢でもなく、私は本当に認知が嫌だった。その理由は過去ブログでも語ってきましたが、いくつかあります。

 

まずは醜貌恐怖。

私はデブスです。さすがに一人用の座席に座れないほどのデブではないし、ふた目と見れない顔を背けるレベルのブスでもない(と思いたい)ですが、まあ普通にデブスだし、色々あって容姿コンプレックスがわりと重いです。その上に若手俳優のおたくとしては明らかにババアに入る部類なので、とにかく見た目に自信がなさ過ぎる。だからこんなブスでキモオタのババアがファンで推しくんに申し訳ないと思ってるし、顔を覚えられたら嫌がられるんじゃないかという気持ちが強かった。推しくんだって男なんだからそりゃ美人や可愛い方が好きに決まってるし、同じブスなら若い方がまだマシじゃないですか?別にオキニになりたくなんかないけど、誰だってオキラにはなりたくないわけで…。でも顔を覚えてさえいなければ、一人くらい多少ババアが混ざってても気にせず流してくれるだろうし。

もう一つは、元推し時代に認知されていたことで嫌な思いをしたから。繋がった後でリアコ妖怪に化けた女に、私が元推しと仲良いことで当時嫌がらせされたからです。傷つくほどヤワな性格ではないので、辛かったというよりひたすらにクソめんどくさかっただけなんですけどね!

まあこれは現場で声かけられたことが嬉しくて安易に同担と繋がった無知な私が悪かったし、その時の教訓を元に今は表向きゴリゴリの同担拒否を極めてるので問題ないっちゃないんですが、やっぱりトラウマになってる部分はあります。

 

認知が嫌だった主な理由はこの二点ですが、もうひとつ、認知に関してずっと気になっていたことがありました。

それは、認知された後の、その先のこと。

 

「ファンと俳優」という関係性である限り、一度認知されてしまったら相手が俳優を辞めるかこちらがファンを降りるかの二択でしか、その呪いを解く術はないわけです。

でも、認知されたからといって、言ってしまえばその人のことを永遠に推し続けられるとは限りません。

何か推しに対して嫌なことがあってガチで降りることもあるだろうし、推し変や別趣味とか他にもっと好きな人や物が出来て、嫌いになった訳でなくてもお金をかけるほどではなくなることもある。

例えずっと好きなままでも、家庭の事情や健康上の理由で現場に行けなくなる人だっているでしょう。

 

以前とある俳優さんが「ずっといつも来てくれてた人が急に来なくなると気になってしまう」という話をされてたと聞き、驚きショックを受けました。その時の私は、たとえ認知している相手だろうと、俳優さんがただのファンのことをそんなに気にしていると思わなかったから。

でも考えてみれば、それって普通のことなんですよね。自分が接客してた時の経験を思い出しても、いつも来てくれる人が急に来なくなったら普通に気になるし、好意的な感情を持って迎えていたお客さんなら心配もします。

なんで来てくれなくなったんだろう。他の店が良くなったのか、引っ越ししたのか。それならそれで良いけど、もしかして怒らせるようなことがあったのかも知れない。それともまさか入院したり亡くなったりしてないだろうか。私はそんな風に思ってしまいます。

先にも書きましたが、俳優だって客商売です。みんながみんなそうではないだろうけど、いつも来てくれてよく話してたファンがある日突然来なくなったら、そんな風に考える人だっているんだ、と気付いてしまった。

 

そしてふと思ったんです。

もしかして私は、元推しにひどいことしたんじゃないか、って。

 

何言ってんだこいつと思われるかもしれないけど、自意識過剰ならそれで全然良いんです。でもほんの一時だけでも、なんで来てくれなくなったんだろう、と思わせた瞬間がもしもあったとしたら、本当に申し訳ないことをしたなと。

こっちにしてみれば様々な事情が重なって現場を干しただけで、茶の間としてずっと好きではあったし、私が降りた当時の元推しはテレビの仕事もたくさん増えて人気急上昇中!みたいな時期だったからおたくが一人減ったところでなんてことはないだろうと思ってた。

でも、たぶん数の問題だけじゃないんですよ。ひとりの個別のファンとして認知されるって、された時点でどんなにただのファンであろうと「完全なモブ」ではなくなってしまうってことじゃないかと。ほんの僅か、影響としては琵琶湖に落としたひとつまみの塩程度だろうけど、でも相手の人生において「関わった個人」としての責任が、確かにそこに生まれてしまう。

それが「認知の先にあるもの」ではないのかなと思います。

 

自分のせいで推しを傷つけるかも…だなんて発想はおこがましいにもほどがあるけど、でも認知されてしまった以上、いずれ何らかの理由で降りる事になったときにその可能性は全くゼロではないわけです。

なら、永遠にモブでいたい。大好きな人たちの人生の、例えチョイ役中のチョイ役でも名前のついた登場人物になりたくなかったなあ、と。

本当の意味でのモブは、主人公から好かれないけど嫌われもしない、ブスだろうが美人だろうが何の関係もないし、良くも悪くも主人公の行動にも思考にも感情にも、何の影響も与えることはない。ただただ頭数の上でのみ必要な存在。

そういうモブに私はなりたい。なりたかった。

 

でも、だからって好きになってしまった以上は、推しの演技をなるべく間近で観たい、推しの顔をたくさん見たい、推しと話をしたい、という欲がおさえられるわけでもない。

役を与えられてしまった以上はもう仕方ないので。今後はせいぜい嫌われないように気をつけつつ、出来れば次の接触までにやっぱり忘れてくれないかななんてゆるく期待しつつ、今まで通りマイペースに推し続けるしかないのだな。

 

推しくん、今後ともよろしくお願いします。

 

 

 

 

おまけ。

認知の先にあったものの話。

 

縁あって今年複数の舞台を観ることが出来て懐かしかったので、元推しのバーイベに5年ぶりくらいに行ってきました。

もともと嫌いで降りたわけではなく、今でも推しくんの次くらいにずっと好きは好きなので、普通に楽しみな反面接触あるのでちょっと悩んでた。

でもまあ、さすがに5年だしもう覚えてないだろうと思って気楽に参加。

 

結論から言うと、私はまだモブになりきれていなかったらしい。w

露骨にあれっ?あれ?という反応をされたので、渋々「5年ぶりくらいですが…」と言うと、すごく嬉しそうに「ですよね!?」と言ってくれた。昔の話を少しと最近の舞台の感想を話すと、すごく嬉しそうに聞いてくれた。上からな言い方で申し訳ないけど成長したなと思いました、と伝えると、ぶんぶん首を振ってうううん、そう思ってもらえて嬉しいです!って言ってくれた。

自惚れでなければ…というか、そういうところで営業取り繕える人間でないことは昔から知ってるので本当に心から喜んでくれていたのであろうことは良く分かったし、これはもうノロケと取られてもいいよ!ってくらい素直に私も嬉しかったです。

 

今でも覚えてくれていたということは、やっぱりほんの一時期でも悩ませてしまったことがあったのかも知れないかもと思うと、少し心が痛む部分もありますが。

それでも、デビューの頃からいつメンだったおたくの顔を数年ぶりに見てちょっぴりでも懐かしく嬉しい気持ちになってくれたのであれば、かつて認知されてたことも悪いことではなかったなあ、なんて少し思うことが出来たのです。

そんな年の瀬。