生きてるだけでありがたみ

推しくんがずっと好きな仕事をしていられますように

キャラ厨と次元の挾間

例によってクソほど長い自己満意味不ポエムなので読まなくていいやつですよ!

 

書いたはいいものの恥ずかしくてずっと下書きにつっこんであったのをやっと引っ張り出して仕上げた、心が狭小な原作厨、二次元オタクの戯言。

少し前、とある大好きな漫画のミュージカルと和解した話です。

 

 

 

 

私は基本的に好きな漫画アニメの公式の二次展開にはわりと寛容な方であり、実写映画だろうがドラマだろうが2.5舞台だろうが殆どの場合は「公式(原作者)がそれで良しとゴーサインを出したのであれば、どんなにクソの臭いがしようともとにかく自分で見てから判断する」派です。

そんな私が唯一、公式の二次展開をシャットダウンしていたジャンルがありまして。それが、某国擬人化漫画でした。

あまり熱心なファンであることを普段公言していないので身内でもそこまで拘ってるって知らない人が殆どな位なんですけど、WEB版の初期の原作が好きすぎて、原作者さんご自身の手による漫画ですら最近の外部展開のものはちょっと解釈違いを起こして敬遠してしまってるくらいこれに関しては心が狭小です。アリの額くらい狭いです。

アニメだって一応ちゃんと見たんですよ、3期くらいまでは。声は良いな合ってるなと思いました……のでCDは買ってます。主題歌は各国バージョンまでめっちゃ好きでリピしてました。でもアニメそのものは、結局あの作品は自由なWEB漫画だからこそ私の琴線に触れたんだなあと実感しただけでした。

 

もちろんミュージカルの事も一作目から存在は知っていましたが、原作ファンを名乗る人たちが平然と受け入れているのも理解出来ないくらいで。

そのミュージカルにおいて、今の最推しくんが私の最愛キャラを演じているというのを知ったのも、そもそも推しくんのファンになる前です。その当時は痛い厨のせいでまだ彼自身の印象が良くなかったんですが、そういうの関係なく「ニンゲンが演じている」ことがそもそも無理でした、私には。だからやがて別作品を通して推しくんのファンになってからも、特に代表作のひとつと呼ばれているそれには触れなかった。

 

とは言え自分の中で少し和解への一歩を感じたのは、やはり推しくんを好きになったからが大きい。二作目の時にビジュアルを見てしまった(案の定見た目は理想だった)事と、推しくんの役に対する思いを聞いたから。

そして、三作目を迎える時の、推しくんの鬼気迫る集中っぷり。毎日推しを通して間接的にミュに触れることで私の気持ちは和解に向かい、千秋楽ライブビューイングのチケットを取りました。

実際のところ三作目の頃にはミュに対してはかなり心を開いてはいたのですが、よりによって本命ジャンルの舞台と日程が被ってたんですよね。

色々あってずっと大切で全ての公式展開を受け入れてきた作品の待望の舞台二作目と、推し推しを演じているもののまだ舞台化には若干抵抗のある作品。前者に全力をかけていた私は当初、金銭も情緒もスケジュールも後者に割く余裕が1ミリもありませんでした。仕事が詰まっていた時期で、その合間をこじ開けて本命舞台をぶっこんでいたというのもあります。

今は確かに以前ほど舞台に抵抗はない、推しくんの頑張りもリアルタイムで見守ってきているし一度くらい生で見届けたい気持ちはある。でも正直この局面でそっち見に行く金と休みがあるんなら、本命のチケットをひとつでも増やしたい。まあ、配信もライビュもあるし今回は茶の間で、次があったら今度こそ生で見に行こう、今回映像とは言えついに触れる事になるしこれをきっかけに過去作の円盤も買って、次回は全力で受け入れられる気がする。そう思って一旦はスルーしました。

 

そんな中、「この公演が最後になる」という発表。

 

推しくんのツイートで最初にそれを見たときは、ショックとか残念とかよりただ漠然と「ああ、そうか、次回はもうないんだ」という気持ちだけが浮かびました。大好きな推しくんが、大好きなあのキャラを演じるのを生で見れる機会はもう二度と来ないんだ、と。(実際にはまだワンチャンあるんですけどそれは後日わかる話なので)

散々葛藤したけど、結果的に私はなんなら増やしたいとすら思っていた本命公演の良席をひとつ捨ててまで、最後方で推し推しキャラを演じているミュを見るという選択をしました。結局決め手は「後悔したくない」という思い、ただそれだけで。その辺の話は以前のエントリに書いてるのでここでは省きます。

 

 

そうして見に行った作品はミュージカルとして普通に楽しかった。見てよかったと思った。でもそれ以上に、私の好きなあのキャラが確かにそこにいたのが衝撃過ぎて終わったあともしばらく呆然としてしまった。

舞台の上にいるのは、推しくんであって推しくんではなかった。その時私は彼を確かにキャラとして、国として見ていました。

長年2.5次元舞台を見てきてますが、私自身はあくまでいつも「原作の舞台化作品」として楽しんでいるので、舞台のキャラは舞台のキャラだと思っています。あまりに寄せてたりするとノリで「本物www」とか言う事はあっても、ここまで本気で「理想のキャラそのものがそこにいる」という衝撃を感じたのは多分初めてです。

 

私がその作品とキャラに対して心が狭小だった最大の理由は、彼らが国の擬人化、つまり精霊のような存在だからでした。国というのは、実際のところほとんどが恐ろしく残酷な過去の上に成り立っている。と言っても別に歴史的事実云々なんて込み入った話をしたいわけではない、単なる私個人の勝手な解釈と拘りの話なんだけど、ただ彼らはひたすらに「概念」でありギャグ漫画だからこそ存在しうる「本当は形のない何か」だった。その曖昧さを愛していたから、アニメやゲームといった大衆向け媒体になったり、ましてや生身の人間が演じるという事が受け入れられなかった。

でも、あの舞台には確かに私の好きなこの国の精霊が、実体として存在していた。

この国が犯してきた罪の重さ、穏やかで優しくて飄々と掴みどころのないお国柄の中に潜むひそやかな残虐性。それはまさに私がイメージしていた原作初期のこの国そのものでした。憑依型という表現は安易で好きではないんだけど、あれは憑依というに近いものだったと思う。

あの舞台を見て初めて、私は「推しという大地の上で生きている」という原作ファンとして当たり前だったはずのことを実感として教えられた。

漫画の主人公は別の国だけど、あの作品において私の好きな国はある種他のどの国とも違う「特別な存在」であると思う。なぜなら、彼はこの作品を生んだ母体そのものであるから。ミュージカルもアニメも、もちろん原作も、この国がなければ存在しないものでした。彼が積み重ねてきたたくさんの罪の上に今というこの時代があって、その結果、その罪すらも良い意味での笑いに変えられるほどのエンタメを生み出している。

すごい、すごい国なんですよ、この人は。はかなくてたおやかで、それでいておそらく誰よりも図太く強い。ぼんやりとは知っていたそれを、推しくんという媒体を通してはっきりと実感した。

 

推しくんにハマったきっかけの舞台ですら、舞台が終わってまで(公演そのものへのロスはあったけども)推しくんに自分の好きなキャラを投影して引きずる事はなかったのに、初めて2.5次元の役者に対してしばらくキャラを引きずるという体験をしました。それほどまでに彼は、私の大好きな国そのものだった。

 

出会いってなんでもタイミングだと思っているから、ニワカだと言われようと気にしないし、1、2作目を生で見てない事に関しても後悔は別にしていないです。このタイミングで見たからこそ感じられた事もたくさんあると思ってる。

それにあの憑依としか言いようのない国そのものであった舞台上の彼は、もちろん推しくん本人のいつも通りの演技力とかキャラ愛とかもあるでしょうけど、それに加えて過密スケジュールによる超短期仕上げと「これが最後」だという気迫と戦後復興というストーリーが組み合わさった上での、今回だからこその奇跡なのではないかという気持ちもある。

 

でも、私が知らない、触れようとしなかった間も含めて、私の好きなこの国をずっと大切にしてくれていた推しくんには今更ながらに感謝しています。

接触で感極まって「(国名)さんをありがとうございました」って謎コメントを言ってしまった私に、「こちらこそ、素敵な役を頂いてありがとうございました」と笑顔で返してくれた推しくん。最初はそれ私(ファン)に言う事じゃなくね!?と思ったけど、でもきっとこんな自己満足な拘りに縛られ続けているちっぽけなキャラ厨一人一人の気持ちまで全部受け止めて、ずっと彼はこの国であろうとしてくれていたんだろうと思う。

 

 

ライブがまだあるけどそれはさておき。

このミュージカルに出会ったことで原作厨である私の公式二次への心が広くなったかというとそんな事はなく、今後もしこの作品が違ったカンパニーで再舞台化されることがあったとしても、きっと私は見ないんだろうなと思います。

私にとってやはり原作以外のこの国は、この先もきっと彼一人でしょう。

 

あらためて、推しくんのファンになって良かったな。

この国を、日本さんを、本当にありがとうございました。